2019年8月24日土曜日

日韓GSOMIA、訪印など: 石破茂(いしばしげる)ブログを読んで

日韓GSOMIA、訪印など: 石破茂(いしばしげる)ブログ
を読んで、自己の形成に強く関わった過去を思い出した。

「イジメ」という言葉が、独立して意味を持つようになったのは20〜30年くらい前だったと思う。その更に10年以上前、小学生の私はイジメに遇っていた。
発端は転校生だったためだが、イジメに反発して周囲に馴染むことを拒んだのが長期化した原因だったのではないかと思う。

中学生になり、強者・弱者の判定基準に「学力」の占める割合が高くなったらしく、イジメっ子たちは私を友人扱いし始めた。
イジメられないのは助かる。でも、いつかまたイジメられるかもしれない。そしてイジメられたことが、忘れられない。卒業まで落ち着かなかった。
そして彼らのいない高校を選び独り進学した。

同窓会などであったとき、彼らはそんな過去を覚えていなかった。
私も敢えて蒸し返さない。でも水に流してはいない。おそらく死ぬまで許さないだろう。

私は、現在の大韓民国政府の態度は頑なで横暴で非礼だと感じている一人だ。
が、石破氏の言う通り、一時版図拡大した東アジア全般での行為に対して、きちんと総括していないとも考える。
侵攻・占領した各地を現地政府とともに丹念に踏査し、不都合な事実も隠さず全世界に提示すべきであった。そうしていれば、たかが捏造記事ごときで外交関係をかき回されずに済んでいたかもしれない。

過去の行為をすべて列挙して、そのひとつひとつに対して反省と謝罪を受けたのならもしかして私も、「忘れることはできない、しかし許そう」と言って、元イジメっ子たちの手を取ることができる?かなぁ

追記
ブログの発言で石破茂氏が大韓民国寄りと批判されているのを見た。
私はそのようには理解しなかったが、時期が時期だけにそう受け取る者もいるかと考え、
場違いなこのエントリを起こしたのだから、予想どおりだったともいえる。

かつて日本は、敗戦前の行為の一部に対して調査し、その結果を公開し、謝罪した。
そしてその当時の大韓民国政府はそれを受け入れ(許し?)た。
問題はそのあとだ。
国際的に事実と認定され、国連人権委員会の勧告まで受けてしまったにも拘らず、
「河野談話は誤りでした」と否定した。

ちがうでしょ。人身売買を許容(黙認)していたことだけでも十分、人権侵害に国家が加担したことになるのに、たとえ一部誤謬があったとのだとしても、国連が認定してしまったその事実に対して「軍は強制していない…」とか、ちまちま責任回避しようとする…、
潔くなきこと、文在寅政権の言動の如し。(字余り)

前科者になってしまったんだから、再犯の可能性がないことを全世界(大韓民国はそのうちのたった一国)に認めさせるのが最優先でしょ。ドイツにおけるナチス問題のように、過去はむろん現在も反省し、謝罪し、人権侵害のない未来を築こうとしている、と全世界に認めてもらわなければ…「日本は女性の人権を守るためこんなにも努力しているのか」って。
このままでは𤳆大韓が大問題になったとき、日本も巻き添え食うことは避けられない。
欧米の人種差別主義者なら「サカリまくった極東アジアの猿どもが反省も謝罪もせず、人権侵害を繰り返す気まんまん」と一纏めに批判するかも。

また、贖罪するなら直接個人宛にすべきだ。
まず、なんらかの事件の加害者が「払ぇやいいんだろ」の態度で金を突き出してきたら、多くの者が「盗っ人猛々しい」と立腹するはず。
次に、彼の国は賠償金を横領した前科があるのに懲りずに、十億円づつ拠出しましょう、いや我が国が拠出する謂れはない、その挙げ句一方的に合意は破棄され、財団は解体、拠出金はまた横領され、追い打ちで「一度の合意で終りと思うなよ」って、まんま(893-1)のタカリ。
さらに、該当者に支払われたとしても「これは日本が渋々出したもので謝罪の意思は全くない」とかなんとか例の二枚舌使われてたら、まんま死に金。

可能なら、該当する方々を伊勢志摩あたりの温泉に招待して、日本人からのおもてなしで滞在中のひとときの間だけでも「恨」を忘れてもらう、ってぇのはどうだろうか。
そのとき、ベトナム戦争の被害者やその子供たちも招待、同宿させることができたなら、彼の国の政府やマスコミはどんなエンターテインメントを提供してくれるだろうか、と私の想像はたくましく膨らむ。


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